ケーブル・ワイヤー・チューブ・シート製造装置・試験装置メーカー・ロボットシステム・AIシステムのシステムインテグレータ

社長のコラム

奥山浩司(剛旭)社長コラム

by 宮西ナオ子 Presents

「自分の好きなことで生計を立てられたらどんなに幸せだろう」とは、多くの人が考えることではないでしょうか。とはいえ、それを実現するには日々の努力や覚悟、そして運のよさに加え、使命感のような役割が必要なのかもしれません。奥山社長と園山真希絵さんは、そのような多くの条件に恵まれたお二人のようです。しかし現状に至るまでには多くの試練も乗り越えてきたのです。


宮西: お二人は今「天職」といわれるようなお仕事に就いていらっしゃいますが、どのようにして今のお仕事に到達したのか教えてください。

奥山: 自分は子供のころから、『がんばれ!!ロボコン』や『マジンガーZ』などのテレビ番組が好きで、それらは、時が経ち『ドラえもん』や『機動戦士ガンダム』となり、『ドラえもん』は、家にいてほしい!!と思い、そして『機動戦士ガンダム』ならガンプラを買いあさるほど、この手で作りたい!!凄くカッコいい!!と、子供心にいつかはロボットを創ると思っていました。その反面、大学は食いっぱぐれのない道ということで(笑)材料化学を専攻していましたが、子供の頃から絵を描くことが大好きだったことが回帰し、就職時には絵を描き、それが具現化できる「ものづくり」の道を歩みたいと、小さな機械メーカーで機械設計者となりました。そして、8年後に独立し、ケーブル製造装置を手掛けることとなり、髪の毛よりも細いケーブルを製造する製造装置の開発が成功し、その装置がヒットしたことにより事業基盤ができ、経営は右肩上がりで、ロボットに携わる時間などありませんでした。しかし、2008年のリーマンショックにより、ケーブル製造装置は全く売れなくなりました。それを逆にチャンスと思い、空いた時間で、産業用ロボットを勉強し、2009年に最初の産業用ロボットシステムを完成させ、ロボットシステムインテグレータとして、2つ目の事業の柱をスタートしました。




園山: 私は田んぼと畑に囲まれた自然の中で生まれ、幼少時代は、祖母や母が自宅の畑で作ってくれた新鮮な野菜やおいしいお米を食べて健康的に過ごしていたのですが、反抗期になると甘いものやジャンクフードを食べるようになり、どんどん太って、なんと70キロほどになりました。肥満に加えアトピーやニキビにも悩むようになったのです。思春期の悩みは非常に深刻ですから、様々な試行錯誤を行い、食生活を改善したところ、体重は減少し、ニキビやアトピーも消えました。そこで食の大切さを改めて感じたのです。それから上京し大学卒業後、一般企業に入社しましたが、さらにモデルやマスコミでの仕事を経験するようになり、会社も設立しました。28歳で初めて紹介制飲食店「園山」を立ち上げたのです。

奥山: 28歳で店を持たれたのですね。自分も同じような年代の31歳で一人立ちしました。




園山: 最初に店舗として借りた店は7年間の定借契約だったので、7年後にはひとまず店をたたんで、次は和菓子の店を始めました。その後、いろいろなことがあり、海外での勉強なども含めたのちに、令和元年から恵比寿に新しい「そのやま」を再オープンしました。今、奥山社長のいらっしゃる、この店です。以前の「園山」から新しい「そのやま」に至るまで、さまざまなことを体験しましたが、食に対する思いは一貫して変わりません。

奥山: どうして「食」という道を選んだのですか?

園山: 「食」という字は、「人を良くする」と書きますよね。何を食べるかによってその人の健康状態はもちろん考え方や生き方まで変わってくることを実感したのです。ですからより多くの人に日本のソウルフードを美味しく食べていただき、心身共により元気になってもらいたい。同時に、多くの人に「楽しむ人生」を提供したいと思ったので、「楽天人生」もテーマにしています。

園山: 子供のころ太っていて、食に興味がないころは、まったく考えもしませんでしたが、いろいろな経験をし、辛い思いや悲しい体験を乗り越えるたびに自分が大きくなっていったように思います。誹謗中傷も含め、あることないことをいわれるようになって料理を辞めたいと思ったことも何度もあります。でもよくよく考えてみると、どん底のような立場にいても食欲がなくなったことはなかった。こんなに辛いのに、おいしいものを食べられるのは幸せだなと考えるようになりました。食べ物はありがたい。私自身が助けられた。それに料理を創るのも人だし、仕事も一人ではできない。スタッフあっての私ですし、支えてくれるお客様や多くの人への感謝も込めて、辞めてはいけない、諦めてはいけないと思って今日まできました。人は人で傷つくけれど、人で救われていくんですね。だから人に感謝していきたいと思っていますし、何よりもこの仕事が好きですね。

奥山: 自分も全く同じで、どんなことよりも機械を創ることや、ロボット・AIシステムに携わっていることが大好きです。今は本当にやりたいことができて幸せに感じています。それと、このような道に進んでこられたのも多くの人とのご縁があってのこと、それが非常に大切だと思っています。

園山: 本当にご縁というのは不思議ですね。

奥山: もうひとつ、真希絵さんは「感謝」という言葉をおっしゃいましたが、自分も子供のころから「感謝が感謝を呼び、不平が不平を呼ぶ。感謝の心は神に通じ、不平の心は悪魔に通ずる。」と教えられてきました。子供心に自分もその教えに従い、常に「ありがとう」と言うように心がけてきました、しかし、それを実感できるようになったのは社会人となってからで、仕事をする中で感謝をすると感謝がかえってくる、不平は不平でかえってくるということをつくづく感じました。




園山: お話を伺っていますと、奥山社長とは考え方がとても似ていると思います。でも私はなぜか、大変な人生で困難なことがどんどん舞い降りてきますが、奥山社長を拝見していますと、あまり苦労がなさそうな感じがするんですけど……。

奥山: いやいや、そんなことはありません。仕事はもちろんプライベートも含めて、今まで色々ありましたから……。しかし、それはひとつのハードルであり、それを乗り越えてきたからこそ、今の自分があるのだと思います。本当に多くを経験させていただいたし、これからもさらに多くのことを経験し、学ばせていただくのだと思います。

園山: 辛い経験、悲しい経験をしたほうが人の気持ちがわかるようになりますね。辛いできことをポジティブに捉えたり、酷いことをされても、それを受け入れ、同じようなことをされたら嫌だなと思って、人には嫌なことをしないという考え方は大切ですね。(第1話終了)

コメント
華やかな舞台で大活躍をされているお二人ですが、そこに至るまでは様々な困難や辛いこともあり、その試練を乗り越えてきたからこそのギフト。それも好きなことだから、大きな志があるからこそ、笑顔を忘れずに乗り越えてきたという天からの贈り物なのでしょう。次回は「モノづくりの心」についてのディスカッションです。お楽しみに。(第2話に続く)

<園山真希絵さんプロフィール>1978年1月5日。島根県出雲市出身。料理研究家。「そのやま」店主。食作家。メンタル心理カウンセラー。食育アドバイザー
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飲食店経営をし、自ら厨房に立ちながら、雑誌やウエブでのコラム&レシピ紹介をはじめ、テレビ出演、著書本出版、講演会、料理教室、カウンセリング、商品開発、全国各地の観光大使を務める。


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