対談
第42回:(株)HCI代表取締役社長 奥山浩司(剛旭)×東京大学名誉教授 佐藤知正先生
漫画の中のロボットがつないだ未来の仕事(第1話)
今回は約40年にわたりロボットの分野で活躍されてきた東京大学名誉教授、工学博士の佐藤知正先生の研究室に伺い、奥山社長とロボットについて大いに語っていただきました。日本ロボット学会会長も務められた佐藤先生の研究領域は知的遠隔作業ロボット、環境型ロボット、地域のロボットと幅広いだけではなく、令和元年5月23日には関東工学教育協会賞(論文・論説賞)を受賞されています。ロボットに深い造詣があるお二人。どのような対談が展開していくのでしょうか。楽しみですね。
日本ロボット学会会長を務められるなど、長年にわたりロボット研究に携わり、昨今では一般社団法人FA・ロボットシステムインテグレータ協会でもロボットSIerの育成に努められている佐藤知正先生。今回は東京大学の柏の葉キャンパスを訪れ佐藤先生と奥山社長にロボットについて、楽しいお話を伺いました。
宮西: ロボットといえば大御所の佐藤先生。まずはロボットとの出会いについて教えてください。
佐藤: ロボットとして意識しているのは漫画でした。『鉄人28号』ですね。
奥山: おやっ? 鉄腕アトムではないんですね?
佐藤: テレビ以前の漫画の時代ですよ。小学生の頃でした。親からは「漫画なんか読むな」といわれていましたが、漫画をもっている親友がいたので、彼のところに行っては読んでいました。このロボットはアトムのように自分で自由に動くわけではなく、悪者の手に渡ったら、同じ力を悪者が使用するわけです。主人公の正太郎という少年が小さな箱をもって、そこについている操縦棒を使って鉄人28号を遠隔操縦していたのが印象的でしたね。その後、大学4年になったときに配属された研究室で、バリ取りロボットの研究に携わりました。そして電総研に入って所属した研究室が情報部門のロボットの研究室でした。ここで知能ロボットの研究をしました。自分自身のテーマとしては遠隔操縦型ロボットでした。
奥山: 先生は東大の機械学科ですが、ロボットをやりたくて入られたのですか?
佐藤: いいえ。実は東大に進学した後に、どの方向に進むか書く欄がありました。僕は電気が好きだから、おやじに相談したら、「電気の勉強は自分ででもできる。でも機械は実習が必要だから機械がいい」と言われたんです。結論から言うと、確かにそうでした。機械に進んで、手や体を使って覚える側面があるので楽しかったですね。でも気持ち的には電気をやりたかったので、機械と電気。その究極の姿がロボットだったわけです。
奥山: 私のロボットとの出会いは、幼少期に実写版の『がんばれロボコン』を見て、ロボットが日常生活のヒーローとなっていることに感動し、それと同時に巨大ロボットアニメヒーロー『マジンガーZ』をカッコいい!と思ったことから始まります。そして、学生時代にはガンダムとドラえもんという具合に、幼少期からロボットとともに過ごしてきたので、あのようなロボットを創りたいと潜在的にずっと思ってきたんですね。
奥山: 大学を選ぶ時は、「食いっぱぐれがない」と勧められ福井大学の材料化学科に行き、化学と金属について勉強しました。そして、就活をしている時に自分を見直し、絵を描くことが好きだったことから「ものづくり」の道を選び、卒業後は、念願が叶い、畑違いの機械設計をさせてくれるという奇特な会社に就職しました。実は幼いころから「社長になりたい」と思っていたので、その会社で、技術、営業、購買、経理など、すべてを勉強し、8年間勤務した後、起業しました。
創業当時はケーブルを製造する撚線機を開発し、携帯電話で使われる髪の毛よりも細い25ミクロン程度のケーブルを高速で撚線することができました。それ以来、今も撚線機メーカーとして、ケーブル・ワイヤーメーカー各社より親しまれ、皆様に貢献しています。
佐藤: ほお。奥山さんは撚線機を開発したんですね。
奥山: はい、最初はケーブル・ワイヤー製造装置メーカーとして認知していただき、右肩上がりに成長していきました。しかし、その後リーマンショックがあり、撚線機をはじめとするケーブル・ワイヤー製造装置が全く売れず、必然と時間ができました。しかし、その時、ピンチがチャンスだと気が付き、もともとやりたかったロボットに取り組み、2008年より勉強をはじめたロボットシステムの初号機を2009年に納入することができました。
佐藤: 奥山さんのロボットに至る道は一番正当な方法ですね! 専用機械をやられていたということは、ものづくりプロセスをよく知っている。現場のこともよく知っている。部品の出し入れもよく知っている。そこを自動化するのに近い人です。
その人がロボットSIerになったら、今度はノウハウも含めて展開していける。まさに王道ですね(笑)
奥山: はい! 確かに、最初にケーブル製造装置を創っていたことは、ロボットシステムを始める際にとてもやり易かったと思います。1年で納入することができたわけですし。
佐藤: 非常にいいところにいきましたね。私の方は、1973年にロボット工業会が発足し、業界も作られ、これが今の産業用ロボットの先駆けでしょう。それにしても40数年前に電総研に入った時の研究室での最新のトピックスがAIとロボットでしたから、今、やっと世の中が追いついてきたと思います。
奥山: なるほど。先生は40年前、既に今の世の中の姿を予見して研究されてきたわけですね(笑)
佐藤: (笑)とはいえ、1歩先の研究はだめなんです。早すぎて誰も理解できないので、半歩先をやりなさいといわれました。ロボットについても将来的にはいろいろなところで需要があるでしょう。
例えばレストランでも食べたものをさげてくれるロボット、ビルのメンテナンスや床の掃除、案内もしてくれるようなロボットもほしいという時代になるでしょう。さらに小さい工場でも使いたいということになるでしょう。しかしこのような会社ではロボットそのものは高額ゆえに買えません。
でもロボットサービスなら買える。そこで部品供給のサービスを、例えば年300万円で提供するようなロボットサービスサブスクリプション事業がその先にあると思います。これらが1歩先になります。このように将来的な展望はいろいろありますがまだ早すぎる。今、奥山社長が実際に行っているのは半歩先のことですね。時代にマッチしています。現時点でロボットを使いこなすロボットSIerの仕事は半歩先の仕事と言えますね。
奥山: 佐藤先生のテーマは遠隔作業ロボットですね。
佐藤: 知的遠隔作業ロボットの研究を10年くらいやりました。その次のテーマがロボットの中に作業空間があるロボットでした。つまり部屋をロボットにした、ロボティックルームの研究です。部屋がロボットというと突飛に聞こえますが、実はけっこう今のものの中には存在しています。例えば現在の生活の中では廊下に人が入ったら自動的に電気が灯きますね(ロボティック廊下)。最近では無人コンビニが出現しています(ロボティックコンビニ)。商品を手にとったら精算し、商品がなくなれば供給してくれる。料理を運ぶロボットが壁の口に埋め込まれている旅館も登場しました(ロボティック旅館)。その浮いたマンパワーをお客さんのホスピタリティに向かわせることができると好評のようです。
宮西: すでにそのような時代になったのですね。
佐藤: 地域のロボット化も行われています。街がロボットというわけです。その第一号が「ふるさとモニタリングシステム」でした。これは2011年3月11日の東日本大震災後、飯館村では村全体にウエブカメラをつけることにより避難所で生活を余儀なくされる方々に貢献できたと思います。今後、このように街がロボット化すると防犯対策にもつながります。一方、デメリットとしては、好ましくない側面ですが、監視社会になっていくことは否めないかもしれません。(第1話終了)
コメント
佐藤先生がロボットを知るきっかけになったのが、テレビアニメではなく漫画雑誌の『鉄人28号』だったとは! 長年にわたりロボットに取り組んでこられた佐藤先生の話は奥が深く、奥山社長と一緒に思わず聞き入ってしまいました。次号では先生の展開する教育論をお楽しみに。(第2話に続く)
<佐藤知正さんプロフィール>1976年東京大学大学院工学系研究科産業機械工学博士課程を修了、工学博士。通商産業省工業技術院電子技術総合研究所、東京大学先端科学技術研究センター教授、大学院情報理工学系研究科教授を経、2013年4月より現職に就任。日本ロボット学会会長を務められるなど、約40年にわたりロボット研究に携わる。東京高専発の社会実装教育の黎明期より指導。令和元年5月23日に関東工学教育協会賞(論文・論説賞)受賞。日本工学教育協会論文誌「工学教育」掲載の論説「科学技術イノベーション実現のための社会実装教育 ~社会実装コンテスト~」(2017年65巻4号)が高く評価された。共著者の林丈晴山梨大学大学院准教授、大塚友彦本校電子工学科教授も共同受賞。