対談
第45回:(株)HCI代表取締役社長 奥山浩司(剛旭) ×岸和田市長 永野耕平
今、大阪府泉州地域で活躍する二人の情熱家(第1話)
今、COVID-19の影響で、人々の考え方が大きく転換していく時代を迎えています。今までの考え方が通用しなくなり、テレワークやインターネット、AIがより注目されてきました。
大きな時代の流れを迎える今、これから躍進するリーダーとしてのお二人が目指しているものは? どのような社会を創造していきたいのかを語っていただきます。主に魅力的な岸和田市の紹介やこれからのビジョンを永野市長に、そしてロボットやAIのメリットなどを奥山社長から伺います。
南海本線の泉大津駅から急行でさらに関西空港方面に向かって2駅目の岸和田駅は約7分の距離。泉大津に本社を構える奥山社長と岸和田市役所の市長として活躍している永野市長。お二人の出会いのきっかけや永野市長が市長になるまでと岸和田学園について。そして奥山社長が社長になるまでなど、さまざまな秘話を教えていただきました。
宮西: 最初にお二人の出会いから教えてください。
奥山: 2年前のことです、2018年9月4日は弊社のロボットセンターが泉大津市にオープンする日でした。ところがこの日、大阪を直撃した台風21号の影響で、結局、オープンが11月になってしまったのですが、このロボットセンターオープン時に永野岸和田市長にいらしていただいたんですね。その節は市長に挨拶をしていただき、ありがとうございました。
宮西: 2年前といえば、永野市長は2018年2月に就任されたのですね。それまでのお仕事は何をされていたのですか?
永野: 大学卒業後は岸和田学園という児童養護施設で働いていました。当学園は、昭和8年に私の曽祖父が創設したものです。彼はもともと警察官で、繊維工場を経営していたのですが、昭和のはじめは、この周辺もストリートチルドレンが多く、そういう子供たちを保護し、必要な住まい、食べ物、仕事などを与えるために家で保護しているうちに、それが施設になったんです。
宮西: そのお仕事を継いでいらっしゃるのですね。
永野: そうです。私は子供の時から施設の子供たちと兄弟のような状態で一緒に大きくなりました。施設に入ってくる子供たちは社会の変化とともに変わってきました。最初はストリートチルドレンでしたが、その後、バブル崩壊後に破産宣告をして一家離散になった子供たちが、そして最近ではドメスティックバイオレンスの犠牲になった子供たちや虐待された子が多くみられるようになりました。彼らと接しながら私も成長し、大学に行かせてもらいましたが、施設の子は多くは18歳までしか施設で生活することはできず、大学進学ができるケースは極めてまれです。そこで大学進学を望む彼らが、大学に行けるようになれば、もっと高いレベルの社会参加ができると思い、そういう世の中を創りたいと思って、その実現に尽力していたわけです。
永野: 当時、私は社会的養護が必要な子供たちの代弁者となるべく使命感から、大阪府議会の選挙に当選して、2015年の4月から2018年1月まで府議会議員として、副施設長をする傍ら二足のわらじを履いて活動していました。当時は365日、休日なく働いていました。
宮西: なぜ市長になろうと思われたのですか?
永野: 府議会議員をやっているときに市長選挙があったのですが、それには出馬しませんでした。でもその時、当選した方が、すぐに辞めたのです。理由は不正なお金のやり取りがあったということで、ここで岸和田市に悪評が立ったのです。これに対して私はどうにかしなくてはならないと思いました。もちろん社会的養護や児童福祉などは府の仕事なので、府議会議員を続けたほうが私の使命上はよかったのですが、ただ地元、岸和田市の汚名返上、財政難という大事に遭遇して、これはなんとかしなくてはならないと切に思いました。
永野: 具体的な数字をいえば4年後には56億円もの資金が足りなくなるという試算が出ていました。
宮西: えっ! 56億ですか? すごいですね。
永野: これを聞いたときに、放っておけないと思いました。そこで覚悟を決め市長になり、岸和田市を立て治そうとしたのです。まず第一に岸和田市の誇りを取り戻すこと。さらに財政を健全化すること。この2点のために2018年年明けの市長選挙戦に立候補しました。これには家族も後援会も全員反対でした。誰も賛成をしてくれなかった。誰もが反対し、辞めろといいましたが、地元岸和田再生のために、どうしても人任せにできなかったのです。ですから、みんなに推薦されて押されて市長になったのではなく、すべてをかなぐり捨てて自分で選んだ道です。そういう意味でもどんなにしんどくてもやらなくてはなりませんね。
奥山: 勇気ある決断ですね。
永野:市長になってからは、私自身も退職金の全額カットや給料の35%カットを行い、4年間でもらえる給料を半額にしました。これは私のみではなく、段階をつけてはいますが、副市長、教育長をはじめとしてすべての職員の給料をカットしました。職員には申し訳ないですが、市役所の資金が足りるか足りないかという瀬戸際なので、市の職員に我慢してもらうしかありません。しかも仕事は倍増しています。
奥山: 給料をカットして仕事が増えているとは……。大変ですね。
永野:そうです。そのような状況にかかわらず、職員たちは歯をくいしばって頑張ってくれています。加えて2年前の台風21号で大きな被害があり、20億円程度の損失も出ています。そのような状況ではありますが、みんなで一致団結して頑張っているところです。
宮西: みなさん、市長の熱い志に感動してついていかれるわけですね。
永野:それならいいですが、これだけ職員が頑張っているので、市民のみなさんもご理解いただき、応援してほしいと思っています。
奥山: 市長の情熱には本当に頭が下がります。
宮西: それでは奥山社長のほうから、社長になるまでの過程と現在のお仕事を教えてください。
奥山: 私の場合、最初に抱いていた志は本当に恥ずかしいことですが、とても自己中心的な考え方でした。でも経営していくうちに社員さん達と一緒になって会社を創っていく必要性を痛感しました。業務内容は、最初は携帯電話や自動車に入っているケーブルを製造する装置を開発していました。そしてこの機械作りを誇りに思ってくれる社員とモノづくりに専念し、社員を幸せにしたいと思うようになりましたが、リーマンショックのときに仕事が1/3に減少してしまったんです。
そのとき、ガンダム世代の自分が、子供のころからの夢だったロボット製造を具現化したいと思い、ロボット開発を始めました。あれから12年が経過し、おかげさまで今はロボットとAIの開発をメインに行い、少しでも世の中に貢献できるようにとがんばっているところです。
コメント
自分の本来やるべき使命を脇におき、家族や後援者の反対を押し切り、自分の給料を減給してまで岸和田市のために頑張る永野市長。そんな永野市長の志と情熱に大いに感動した奥山社長。泉州という場所でともに頑張っている同世代のお二人です。それだけに二人の対談は熱を帯びてきました。第2話は岸和田市の魅力とロボット導入の運びについてさらに会話がはずみます。お楽しみに。(第2話に続く)
<永野耕平市長プロフィール>1978年4月25日生まれ、岸和田市三田町出身。岸和田市立山直北小学校、清風中学校、清風高等学校卒業。関西学院大学法学部政治学科卒業。大阪市立大学大学院経営学研究科前期博士課程(MBA)修了。社会福祉士、精神保健福祉士。
2015年4月から2018年1月まで大阪府議会議員。2018年1月から12月に岸和田青年会議所第60代理事長を務める。2018年2月に岸和田市長に就任。現在一期目。
<略歴>岸和田市立山直北小学校卒
清風中学・高等学校卒
関西学院大学 法学部 政治学科 卒
大阪市立大学大学院 経営学研究科 前期博士課程(MBA)修了
元社会福祉法人 阪南福祉事業会 岸和田学園 副園長
元公益社団法人 岸和田青年会議所 理事長
元学校法人 村川学園 監事
元社会福祉法人 健福祉会 監事
維新政治塾一期生
2015年4月 大阪府議会議員
2018年1月 岸和田青年会議所第60代理事長
2018年2月 岸和田市長