対談
第63回:(株)HCI代表取締役社長 奥山浩司(剛旭) ×フリーランス口腔外科医 岩田雅裕先生
現在に至るまで(第1話)
顎顔面口腔外科専門医で、日本国内でフリーランス口腔外科医をしながら、年に8回、1回に1週間から10日ほどカンボジアに滞在し、ボランティアで手術や診察を行なっていらっしゃる岩田雅裕さん。
顎顔面口腔外科専門医で、日本国内でフリーランスの医師をしながら、1年に5ー7回、1週間から10日ほどカンボジアに滞在し、ボランティアで手術や診察を行なっていらっしゃる岩田雅裕さん。1999年よりカンボジアでの医療支援ボランティアを始めてから、すでに90回を超えています。
唇裂口蓋裂 や腫瘍、顔面骨折、口腔内・頚部の病気などの手術をした患者さんは 1500人を超えたといいます。カンボジアの医療水準は低いといいますが、時にはベッドは足らず、検査機器もほとんどなく屋外で施療することもあるとか。ここにロボットやAIの技術を摂り入れてサポートできることがあるのでは? 株式会社HCIの奥山社長と対談して、最大の援助国、日本ができることを考えてみたいと思います。
顎顔面口腔外科専門医として日本国内でフリーランスの口腔外科医をしながら、1年に5ー7回、1週間から10日ほどカンボジアに滞在し、ボランティアで手術や診察を行なってきた岩田雅裕先生。1999年からカンボジアでの医療支援ボランティアを始めカンボジア渡航回数124回、カンボジアだけで手術件数2450件。また海外・カンボジア以外で246回渡航。3340件の手術を行ってきました。今回は岸和田市の本拠地「南大阪アンチエイジングセンター」に岩田先生を訪れ、奥様の宏美さんと一緒にお話を聞きました。
医療従事者とロボット・IoT・AIシステム企業経営者。全く違う分野を歩いてきたお二人。第一話では岩田先生の現在に至るまでの活動、カンボジアでの体験、病院部長職を辞めてまでの情熱。そして株式会社HCIの奥山社長には、これまでの体験やなぜロボットやAIに導かれたかを聞いてみました。
宮西: 岩田先生のプロフィールを拝見して感動しました。まずはフリーのドクターになられたきっかけなどを教えてください。
岩田: 私は日本でずっと口腔外科をしていました。病院勤めをし、外科部長もしていましたが、1997年に中国で活動するきっかけがありました。現在、主に取り組んでいるカンボジアのボランティアは3年後の1999年からです。そういう意味では最初に海外へ出てから今年で25年になりますね。
奥山: 最初に中国にいったきっかけは?
岩田: 大学病院勤務の時、中国から留学生がきており、彼の論文や臨床の手伝いをする担当になりました。その後、彼は帰国後、湖南省の省人民病院の副院長になったのです。そこで講演会や手術などを手伝ってほしいといわれ中国に行きました。当然、中国での講演などは1回きりと思っていましたが、翌年、たまたま中国の学会で講演を頼まれたので、せっかく行くのだから、その病院でお手伝いをしたのです。2年連続になりましたが、それ以上続けるつもりはありませんでした。
奥山: それが、どうして20数年も続けることに?
岩田: どうしてでしょうかね? 中国だけなら続けなかったかもしれません。当時、プロのカメラマンの友人が遺跡や紛争地域の写真を撮影していたのですが、彼がカンボジアでは医療を受けられない子供達がたくさんいると教えてくれました。そして1999年にカンボジアのシェムリアップにあるNPOが運営する小児病院を訪問し口蓋裂児の執刀を頼まれたことが活動のきっかけになりました。以前、私が訪れた中国の地方も相当貧しかったのですが、それ以上にカンボジアでは貧しさが際立ち、病院にも行けない子供たちが多くいました。またカンボジアの医療水準は非常に低く、時にはベッドが足らず、検査機器もほとんどなく、屋外で施療することもありました。それは日本の常識では考えられないことばかりでした。
岩田: もちろん最初はカンボジアでもこんなに長く続けるつもりではなかったのです。
宮西: それなのに、どうして、こんなに長く?
岩田: 当時の私は日本の病院に勤務していましたから、現地に滞在する時間には限界がありました。夏休みの2週間、正月休み、連休、学会で海外に行く途中に立ち寄るなど、自分の休みの時間を使い切って活動しました。カンボジアには唇裂口蓋裂や腫瘍、顔面骨折、口腔内・頚部・顔面の病気など重症の人が多かったのに、口腔・顔面や頸部を扱う専門医がほとんどいません。そこでどうにか手術をしてあげたいと思いました。最初は現地の医者たちと人間関係もできていないので、手探りで信頼関係を作って手術をしていました。そのうち患者さんたちのニーズも増えてきて、手術が相次ぎ、スケジュール管理が厳しくなりました。そこで2013年に病院部長職を捨て、フリーになりました。コロナ禍以前は、カンボジアをメインに中国、ラオス、ミャンマー、スリランカ、ブータン、ナイジェリア、タイ、フィリピンなど、いわゆる医療が遅れている地域に、年に5,6回は赴いて手術援助を行ってきました。
宮西: 全てボランティアなのですか?
岩田: 使う時間はもちろん、旅費も滞在費も全て自分もちです。日本で稼いだ金額を使っています。
奥山: 凄いですね。そのモチベーションはどこから?
岩田: 実際に困っている患者さんが目の前にいると、医療者として「何とかしてあげたい」という気持ちがふつふつと沸いてくるんですね。実際に一度の滞在期間では、手術ができる人の数には限りがあります。通常は1週間の滞在と決めていますので、その時、手術ができない人がいますから、次に行くときは「あの人がいるから行って手術をしなくては」という気持ちに駆り立てられます。常に患者さんが目の前にいるから続けてきたといっても過言ではありません。
宮西: 素晴らしいですね。それでは次に奥山社長、お願いします。
奥山: 自分は会社を興して20年が経過しますが、それ以前に会社勤務を8年間していました。その間もいずれ独立しようと思っていたので、技術、営業、経理まで、すべてを勉強させていただきました。やっと2002年に独立することができ、ケーブル製造装置メーカーとしてスタートしました。設立当初は一人で始めましたが、今は55名の社員をもつ会社に成長しました。
岩田: ロボット事業はいつからですか?
奥山: 2008年からスタートし、今年で13年が経ちます。そもそも自分はガンダム世代ですから、いつかガンダムを創りたいという想いを抱きながら着手しました。
岩田: どのようなきっかけで始めたのですか?
奥山: リーマンショックもあり、将来を見据えた際に、これからは人手不足問題や事業継承・技術伝承問題などが大きくクローズアップされると考え、それらを解決する手段に成り得るロボットを真剣に取り組もうとしたわけです。もともと機械メーカーであったので、技術的な素養はあり、そこへロボティクスをプラスアルファしました。またロボットシステムを創り続けると、ロボットコントローラーを使いこなすだけではできないことを成すべく、AI・IoTシステムが必要だと考え、2017年にAIを始めました。そういう段階を踏んで、これからはサイバーとフィジカルが組み合わさったサイバーフィジカルシステムを構築しています。また、これは親から受けてきた教育の影響だと思いますが、生まれてきた目的の一つに「人助け」があると思ってきました。自分には機械を創造する技術があるので、その技術を使いこなし、人助けをすべきだと考えています。今後の日本では加速度的に人手が不足しますから、もっと技術力と人間力を高め、地域に、日本に、世界に貢献したいと思っています。
コメント
岩田先生のボランティアのきっかけについては、「そこに困っている患者さんがいるから」。奥山社長のロボット創りの目的も「人助けにある」ということで、お二人の対談が始まるやいなや、すっかり盛り上がっていきました。この勢いで第2話も盛り上がります。お楽しみに。(第2話に続く)
<岩田雅裕(いわた・まさひろ)さんプロフィール>岡山大学卒業後、岡山大学口腔外科に勤務。その後、広島市民病院歯科口腔外科部長、岡山赤十字病院、琵琶湖大橋病院口腔顎顔面外科部長、岸和田徳洲会病院顎顔面口腔外科部長ののち2013年フリーランスに。フリーランス顎顔面口腔外科医として活躍中。平成27年度 社会貢献者表彰。主な認定専門医、国際口腔顎顔面外科専門医、日本口腔外科学会・口腔外科専門医、日本口腔内科学会指導医・専門医、日本小児口腔外科学会指導医・認定医、日本顎顔面インプラント学会指導医、日本口腔科学会認定医、そのほか多数。
大学病院や総合病院の外科部長職に就いていましたが、平成13年にカンボジアを旅行し立ち寄ったNPOが運営する小児病院に数か月後再訪した際、執刀を頼まれたことが活動のきっかけ。
専門医の少ない同国で、同国の医師の育成にも力を入れ、講義や医療実習も行っている。活動範囲をスリランカ、ラオスやミャンマーまで拡大。
大学病院や総合病院の外科部長職中、2000年に知人の紹介でカンボジア・シェムリアップにあるNPOが運営する小児病院を訪問、口唇裂、口蓋裂児の執刀を頼まれたことが活動のきっかけで、貧しいために病院にもかかることができない子供たちをみて心動かされ、継続的に医療支援を行いすでにカンボジアへの渡航は90回以上を超える。
<岩田宏美(いわた・ひろみ)さんプロフィール>大阪歯科学院専門学校卒業後、一般歯科医院、岸和田徳洲会病院勤務の後、2012年に結婚。2013年からフリーランス歯科衛生士に。2020年に出産。一児の母。41歳。